6人が5人に、5人が2人に。

 

誰しも 信じたいもの と 信じたくないもの がある。けれど、伝えられたものはそれが答えなのだと受け入れなければいけない。これは、置かれている状況を受け入れなければいけないということではなく、 本人たちが伝えた事実を理解する ということ。

他に理由を探ることを次のように思う。

 


信じたくない、他に何か理由がある、と思うことは仕方ない。けれど、ある人に頼って 今まで不利だったものを味方だとすることはどうなのか。

頼らなくても、調べられて、どこまでも大切な人たちを追いかけるだろう。でも、どこの誰だかわからない人の言葉に惑わされているのは悲しいことだ。それも「憶測に惑わされないで」と伝えられているのに。

 

(ここから もしも の話)


探ったことが事実であり、さらに事務所側が「これは事実です」と報道したとする。でも、それは本当によかったことなのか。

当の本人たちは、それで救われたのか。

 


憶測が溢れるほど出て、そのことがより注目されその記事を出すために、カメラに追われ誰かにつけられ、ただでさえ大変な毎日がさらに辛くなっているかもしれない。事実が発表される前にダメになるかもしれない。これは恐ろしいことに本人たちだけではない。

他のタレントやスタッフなど関わる人にまで悪影響なことが起こってるかもしれない。

 


山ほどあるが、それらのことから事実だったから自分がしたことは正しい。とは言えないと思っている。

 


そして、事実ではなかった場合が怖い。事実だったことよりも外傷が大きい。

 


これは、今回話していることに関わらずだが、信じたいものを信じることで自分にとって楽なのであれば、それを信じればいいと思う。でも誰もが見られるところで発言するのは危険だ。発言の自由はあるけれど、誰かを苦しめることもある。もっと恐ろしいものが自分にやってくる可能性もある。それを頭の片隅に入れてほしい。

 


人の心は操れないし、みんなが同じ意見ではない。一人ひとりがみんなが違う。

 

 

大好きだから、何かを抱えているように見えるかもしれない。もしそうであったら 抱えていても、それを伝えられない、伝えたくない事情があって。

 

生きててよかったと思える小さなこと(美味しいものを食べる、温かい湯船に浸かる、好きな曲を聴く、たくさん眠る、家族や友人と連絡をとる、自然と触れ合う、)何かで癒されることをしてね。それは大切なことだから。と伝え、(心の中で思い)支えたい。

 

 

自分の言葉を信じてくれる人がいると心強い。

 

本当は〇〇でした と言われたらそれを そうだったんだ と思い

もし嘘を伝えられていたとしても、

”あの時どうして本当のことを言わなかったのか。何も信じられなくなった。裏切られた。”

と悲しむより

その時はそうするしかなかったんだ。と思う方が私は楽だ。

 

 


ずーっと先、何か吹っ切れた時などに伝えてくれたのであれば、辛かったねと一緒に悲しみたい。そして乗り越えられてよかった となりたい。

 

もしそうであった場合の話をしたが、

 

今、大切な人たちが伝えてくれたことを信じるしかない。

誰かのために、自分のために。

 

表現の自由、発表する自由 はあるが、自分の言葉で悪影響はないか私自身も考えて発言すること。信頼できる人に悲しい悔しい苦しいを伝え。自分も聞いて、新たな考えを学んでいきたいと思う。

 

 

 

ここまでの話で、前向きなように見えているかもしれないが、暗闇の中 終わりの見えないトンネルを歩いてる気分になっているのは事実だ。

 

大好きな人たちが、5人が5人でいられなくなったことをいつか慣れてしまう日がくるのか。その日常が来てしまうのも怖い。これは今私が、5人に慣れてしまっていたから思うことで。

 

私の中で少なくとも6人だった、5人だった頃はずーっと生き続けている。絶対に忘れられない。忘れたくない。それが、その思い出が、朝日のように私を照らしてくれると思う。

恋しくなって曇った夜空をみて涙を流すことはある。けれど私は1人で歩いているわけではない。

 

ここまで読んでくれたあなたのことを、1人で心細い気持ちを抱いていないことを願いたい。

 

誰か一緒に歩いてくれる人はいますか?友人、家族、ペット、恋人、憧れの人、特別な彼ら、....

誰かに支えられながら、その誰かと一緒に歩いてほしいです。

 

『画面の中の現実(リアル)ひとり取り残されて』

いるという気持ちになるかもしれない。

 

でも、誰かに

『大丈夫さ 僕もそばにいるから』 

や、大丈夫だよ あなたがいるから。と言えたらいいな。

 

(King & Prince / 君がいる世界 )

 

 

 

ここで綴ったことは、私の思いを伝えたいからここに残したわけではなくて。

おこがましいですが こういう考えもあるのね。へぇ〜。とくらいの思いが残ると幸いです。